『本気で歯科医院さんのお役に立ちたい』

建築を通して多くの歯科医院さんとご縁があるのは、亡くなった親父が残してくれたものと、今では思っています。

2007年2月21日、入院先の病院で、僕の親父は長く患っていた肝臓癌により68歳で亡くなりました。
前年の7月に「末期の肝臓癌で手の施しようがない」と診断されて、通院しながら自宅で静養する生活。
それまで入院することを嫌がって、自宅で過ごしていた親父が、いよいよ体調が悪化し入院を受け入れたのは2006年の12月の7日。
それでも、その4年くらい前から肝臓癌と診断されて入退院を繰り返していたので、僕ら家族には「何とかまた退院できるだろう」という気持ちがありました。
しかし既に容態はだいぶ悪かったようで入院してからというもの、数日に渡って意識を失っては、また数日の間、意識が戻る、というような生活。
そんな生活の中でも、親父の唯一の楽しみは‘食べること,でした。

意識がある間は以前から大好きだったプロボクシングやスポーツ中継をテレビで楽しみ、夕食を食べたら、そのすぐ後には、「明日の朝は何がいいかな」「昼は何を食べよう」と‘食べる,ことをとても楽しみにしていました。
「病院の食事は、みんな似たような味付けで、おまけに薄いし、不味い」
「お母さん、何か作ってきてくれ」
と、毎日見舞いに通い詰めていたお袋に我が儘を言うのですが、お袋もそれに答えるのを嬉しそうにしていました。
夕食が済むと「明日の朝は何がいいの?」なんて。
親父が「小松菜の煮浸しと何か白身魚がいいなぁ、あと、たらこのふりかけごはんな」なんて言うと
「しょうがないねぇ、わかったわよ!」と、笑顔で答えて。
「あ~、明日の朝御飯を楽しみに、早めに寝るか!」
「寝ると腹が減るしな!」
そんな調子で、決して多くの量を食べられるはずもないのですが、とても毎回の食事を楽しみにしていました。
親父は、まめに歯医者さんに通っていたと僕は記憶しています。
でも、60歳を過ぎたあたりから自分の歯は数本しかなく、ほぼ入れ歯でした。
入れ歯を大事にして、まめに手入れしていたようで、最後の入院となる時まで、食べることや笑うこと、しゃべることに苦労をしていた様子はほとんどなかったと記憶しています。
最後の入院となる頃には自分の歯は1本のみで、それをひっかけるようにしてはめる、ほぼ総入れ歯となっていました。
病院でも入れ歯の手入れを、お袋にマメに頼んでいました。
お袋も親父が大事にしていることをよく知っていたので、嫌な顔ひとつせずに、よく磨いたり洗ったりと手入れをしていました。
起きている時、意識がある時は、親父も気にして常に入れ歯をしているのですが、寝ている時や意識がない時は外れて喉に詰まる危険があるので、ずっと外しています。
2・3日、ベッドの上で元気にしていたかと思えば、また1・2日、意識が無く、点滴からの栄養で過ごすわけです。
意識がなくなると、その度に見る見るうちに痩せていき、1ヶ月もすると、入れ歯がなかなかうまく収まらなくなりました。
入院していた病院に「入れ歯を調整する歯医者さんを紹介してください」(当時、歯科技工士という仕事さえ知りませんでした)と申し出ましたが「予約しますが、時間がかかります」という回答でした。
何も知らなかったので「そんなものか」と諦めるしかなく。
ごまかし、ごまかしで入れ歯をはめて、意識がある時は、何とか食事を楽しんでいたのですが、しばらくすると無理にはめなきゃならない状態となり口の中を血だらけにしていました。
それでも何とか‘食べること,を諦めずにいたのですが…
1月の半ば、成人式を過ぎたあたりで、とうとう親父は自分で入れ歯をはめることを諦めてしまったんです。
「もういい!」と怒った様子で。
それから意識がない時間の方が増えていきました。
そして翌月の2月21日、家族と親戚で親父を看取りました。
最後の最後の会話は僕とのものでした。
ちょうど日曜のお昼で、僕はコンビニで買ったシャケ弁当を親父の病室で食べていました。
「今日のお昼か」
「何を食べてるんだい?」と親父。
「シャケ弁だよ」
「食べてみるかい」と僕。
「いいよ、いいよ、午後も仕事だろ」
「しっかり食べなさい」
「お父さんはコンビニの弁当なら、あれだ、三色弁当がいいな、ひき肉と卵と、あれがのってる…..」
それが親父との、本当の最後の最後の会話でした。
そのまま眠るように意識が無くなり、その4日後、静かに旅立ちました。
その後、時々お袋や妹と話したんですが
「誰が見ても‘食べる,ことを諦めてしまってから、元気がなくなったよね」
実際に、それから意識がある時間がドンドン減っていってしまいました。そして約一ヶ月で親父は亡くなります。
そう何年も生きられたとは思っていませんが、1月の半ば、あの時‘食べる,ことを諦める必要がなかったら。
入院していた病室の窓から、すぐ近くの桜並木が見えたんです。実際に埼玉は春日部市の桜の名所です。
「あそこなら近いから車椅子でも行けるよ。」
「オフクロの作った弁当もって、あそこで花見をしよう!」というのが僕ら家族の合言葉になっていました。
それを叶えることぐらいは出来たんじゃないかと思ったりもするんですね。
以前読んだ本で『歯は臓器』という言葉があり、とても印象に残っていました。
今ではそう強く確信しています。
そんな話を歯科医師の先生や歯科技工士さん、歯科医療に関連する仕事をしている人たちにするようになってから、22歳から営む建築業を中心に、自然と歯科医院さんとの仕事が増えてきました。
そんな想いで歯科医院さんのお役に立てるよう本気でお付き合いさせて頂いています。

 

※写真は亡くなる約10ヵ月前、元気だった頃。親友・大嶋啓介と懐かしいスリーショットです。
34歳の夏前くらいかな、しかしオレも啓介も若い…

 

2023.20.10 お知らせ

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